突然の脳出血 

息子が高次脳機能障害になったワケ

高次脳機能障害とは
http://www.rehab.go.jp/brain_fukyu/rikai/
*国立障害者リハビリテーションセンター 高次脳機能障害情報・支援センター

突然の脳出血

脳出血当日

2017年1月17日 その日の朝も、小学4年生の息子は、いつも通り元気に分団登校した。息子は幼少期より自家中毒という、体内にケトン体が溜まり嘔吐を繰り返す性質があり、年に2、3回はダウンしていた。だから、その日の保健室からの電話もきっといつもの自家中毒だと思っていた。

保健室の先生「お母さん お仕事中にすみません。1時間目の終わりに突然気分が悪くなり嘔吐しました。今はベットで寝ていますが、お迎えに来れますか?」

いけません!! とは言えず
「はい 1時間以内にそちらへ行きます」
と返事をし、夫にLINE。職場に近い私が学校へ迎えに行き、夫が午後から小児科へ連れて行くことになった。

「熱もないし、様子観察としか言われなかったよ。小児科の先生も、また自家中毒じゃないかって」

小学4年生の息子にとって、頭痛を表現するのは難しかったのだろう。今思えば、アレが息子の頭痛の表現だった。
息子「寝てる時にしらずに頭をぶつけたみたい。左の頭にタンコブできていない?」
その時は私も脳出血を疑っていなかったのでスルーしていた。

次の日も吐くほどではなかったが嘔気があったため、学校を休ませて祖父母に看病してもらっていた。その当時流行っていた妖怪ウォッチが大好きな息子のことだから、少し元気になったらDS(コンピュータゲーム)で遊んでいるだろうと思っていた。

祖父母「なんとなく元気なくて、1日中寝てたよ。」

私は母親のカンで“様子観察はしていられない”と思った。今すぐMRIを撮って原因を精査したいと思った。
急いで近所の脳外科に駆けつけたが、18;30を回っていたためMRIはその日は撮らせてもらえなかった。 

脳出血の翌日

 子供が熱もなく嘔吐したからといって、一般的にすぐに脳出血へ繋げられるわけではないだろう。私が”一般の人”でない訳ではないが、脳出血、脳梗塞後の機能回復をになうリハビリテーション病院に勤めている。症例としてはたくさん扱っている。ただし、私の勤務先に来る”患者さん”は血圧が高かったり、コレステロールが高かったり…そもそも60歳以上だ。

まさか、10歳の我が子にその様な病気が発症するとは夢にも思っていなかった。

嘔吐から3日目、昨晩の脳外科へ予約した時間に連れていくように祖父母に依頼し、私はいつもの時間に出勤した。祖父母は現在は定年退職しているが、医療現場で40年近く働いていた事もあり、私は病時でも安心して子供を預けていた。だから、私はその日も午前中の忙しさにかまけて、脳外科から職場へ電話がかかってくるまでは、すっかり受診のことを忘れていた。
 
祖父「MRIを撮り終わったんだけど、転院しなくちゃいけないから… A総合病院とB大学病院のどちらへ転院するか、両親でないと決定できないから… 看護師さんに変わるね」
慌てた父の言葉で、嫌な予感がした。

看護師「お母さん 至急迎えに来てください。詳細はこちらで話します。」

「15分以内にそちらへ行きます。B大学病院へ転院の手続きを進めてください。」

B大学病院は、脳出血/脳梗塞を扱っている件数が多いことを仕事上知り得ていた私は、詳しい病状も聞かずにすぐに返答した。

大学病院へ

脳外科に着くと、すぐに医師が病状の説明を行った。

医師「MRIの結果から、脳出血を起こしています。詳しい原因が分からないのでB大学病院で検査してもらいましょう。 救急車を呼んでもいいですが、お母さんの車で連れて行きますか?」

「私が連れて行きます。診療情報提供書の作成をお願いします。」

私の妙に小慣れた口ぶりに、不信感を抱きながらも、医師は転院の手続きを始めた。
日ごろの業務で似たような症例は扱っているが、自分の子供が脳出血になるなんて… 私も同様していた。

祖父「入院の準備をして届けるから、先に病院行ってね。歯ブラシとかパジャマとか適当に用意して持っていくから」

祖父は入院案内の説明を今までは何度もする側であった。必要物品も入院生活で欲しくなるモノも心得ている。祖父母のお陰で、私は安全運転で息子をB大学病院へ連れて行くことになる。

大学病院での生活

大学病院へ到着

大学病院の救急外来は、どこも混んでいる。病院間の連携があるとは言え、病棟に移動するまで2時間以上は救急外来のベットで待たされた。その間に夫も病院へ到着し、B病院の担当医から病状について説明を受けることになる。

担当医「はじめまして 息子さんを担当する加藤と申します。現時点で、出血が広範囲に広がっているためMRI画像から詳細な原因は分かりません。よって、今後の予定も不明確なのですが… 今から小児科病棟へ移って、そちらで1ヶ月くらいの入院となります。ここ2、3日は頭痛と吐き気が続きます。場合によってはてんかん発作が起こる可能性もあります。小学生以下は24時間看護が必要なので、ご家族のどなたかがついてください。検査をしないとわかりませんが、出血の部位から右の視野が欠損している可能性があります。それと、多かれ少なかれ障害が残るため、リハビリも必要となります」

夫は突然の出来事に、ショックな表情を隠せずにいた。

私は… 私は、脳出血後の経緯について知っていたので、当たり前の事として淡々と聞いていた。ただ、視野の欠損だけは… どうにか避けたいと願っていた。

余談だが、担当の脳外科医は偶然にも息子の通う学童の父兄であったため、その後も何かとサポートしてもらえた。

初めての病院の夜

大病院の小児科の夜はにぎやかだ。
隣の赤ちゃんは一晩中泣いていた。(恐らく1歳くらいだが、寝たりきであったため実際の大きさがよくわからない) 後日、仲良くなったお母さんから詳しく話を聞くと、隣の赤ちゃんは生後5ヶ月の時に脳性マヒとなり、痙性が強く出てその度に痛くて泣いているそうだ。この親子は急性期病院にしては珍しく、3ヶ月くらい入院していたため、付き添い家族のためのお風呂時間を譲りあったり、お互いの状況について話し合った。今頃あの親子はどうしているのだろう。あの母親はずっと、自分を責め続けているのだろうか…

それから約1ヶ月、私は息子の病院のベットの横に付き添い者用の簡易ベットを並べて寝泊りした。

朝は息子が起きる前に病院を出て自宅に戻り、小学校に行く前の娘の髪の毛を編み、自分も仕事に行った。仕事が終わったら病院へ直行し、病院のお風呂に入り、簡易ベットで寝た。私が仕事に行っている間は両親が交代で息子に付き添った。今考えてもハードだが、私は、息子が少しでも入院生活を楽しめるように必死だった。

向かいの子供は明日の検査が怖い、家に帰りたいとずっと母親に訴えていた。ネフローゼ症候群で入院していて、明日は腎生検があるらしい。

心電図モニターと点滴に繋がれた息子も、アラートがたくさん鳴ったために周囲に迷惑をかけた。
私は、息子のベットの横に設置された簡易ベットに横たわりながら周囲の騒音に耳を傾けていた。神経質な夫には、絶対に夜の付き添いはお願いできない。夫は一睡も眠れないだろうとボンヤリ考えていた。

子供の長期入院 〜その時ワーママはどうする!〜

平日の付き添い
休日の付き添い

その当時の上司は、神経内科医だったため(現在は院長)、私よりも息子の病状に詳しかった。
脳出血直後は、出血の原因が脳腫瘍なのか、脳動静脈奇形か分からなかったので、MRIで再度出血部位を確認するまでは開頭手術をする予定でいた。(結局、脳出血の原因は脳動静脈奇形が破裂したモノであり、破裂により奇形が無くなったために開頭手術はしなかった)
だから大きな障害が残った場合、私が仕事を辞めるのではないかと危惧していた。



入院期間は24時間看病が必要であったため、私、夫、祖父母でローテイションを組むことにした。

私は睡眠の質が良く、いつでもどこでも寝ることができる性質を生かして夜を担当した。

そして私は、午前中に子供の看病休暇をとり、午後から毎日出勤した。朝8〜9時に両親が病院に来たら、着替えを持って自宅に帰り、洗濯や夕食を作り、昼前には出勤した。そして、土日は娘とゆっくり自宅で過ごした。それでも当時7歳(小学1年)の娘が寂しがる時があり、朝私がいない事でグズることがあった。

小学生の入院生活〜楽しみ方〜

 小児科病棟に脳出血の子供が入院するのは珍しい。脳外科の担当医は、息子のためだけに毎朝小児科病棟へ通ってくれていた。それ以外にも、小児科の先生が毎朝の体調管理と称して、息子と遊んでくれた。入院中の子供にとって1番不足しているのは、遊びなのだ。 私達家族も、息子が寂しくないように、退屈しないように一生懸命入院生活を盛り上げた。 例えば、、

退院後に飼うことになった犬

【買ってよかったモノ】

「世界の果てまでイッテQ」のDVD;病棟に置いてあったDVD。ベット上安静の期間はひたすらこのDVDを視聴していた。この頃脳出血の影響で、まだ頭がボンヤリしていた事もあり、楽しくてわかりやすいモノを好んだ。(ちなみに、「世界の果てまでイッテQ」は中2になった現在でも毎週視聴している。)

世界旅行の本;イッテQの影響で、世界旅行に興味を持つようになっていた。日中のリハビリや検査で疲れていたのか、部屋に戻ると活字を読む集中力が無くなっていた。だから、写真が多い世界旅行の本を選んで渡していた。今思えば、現実逃避したかったのだろう。学校の様子も気になるけど、気にしてもどうしようもないことが分かっていた。

犬の飼育方法の本;10歳の誕生日に犬を飼う予定だった。その1週間前に脳出血を起こしたため、10歳の誕生日は病棟で迎えることになった。入院中に蓄えた飼育の知識を生かして、退院後早速犬を飼うことになる。早くリハビリを終えて、自宅に帰るモチベーションにもなった。

小学生の入院生活〜休学中の勉強と学校の様子〜

 結論から言うと、勉強はほとんどしていないため授業のフォローはできなかった。脳出血直後のぼんやりする感じや異常な眠気によりベットサイドでの集中力は5分と保つことができなかった。IQが97→77へ低下していたこともある。とにかく、今までできていた日常生活が脳出血直後はビックリする程できていなかった。

 小児科病棟へのお見舞いは、感染症を持ち込む危険性があるため、家族以外の面会は原則禁止されている。ただ、学校の担任の先生は2回ほど病院へ来てくれた。後から知った話だが、息子のクラスでは、息子のために千羽鶴を作ってくれていた。クラスの子が、休んだ子に毎日書くメッセージも、入院と休学が長くなると分かった時点で断ったが、毎日書いてくれた。

脳動脈造影検査

 病院入院後、1日目は24時間心電図モニターをつけてベット上安静だった。幸い、強い頭痛も、吐き気もなかったが、とにかくよく眠っていた。(18時間/日くらい?) 3日間程は、食事をあまり摂れなかったので点滴が繋がっていた。トイレに行く時、チューブが絡みついて邪魔そうにしていた。

 脳出血から2週間が経ったころ、脳動脈造影検査が行われた。これは、脳の血管に造影剤を注入し、その様子をX線投影する検査だ。この検査により、MRIやCTよりも、より詳しく動脈瘤や動静脈奇形を発見することができる。ただ、鼠径部(太腿の付け根)から頭の近くまで細い管を通し、造影剤を入れるため侵襲の大きい検査となる。

 大人の場合は局所麻酔で行われるが、子供は検査中に動いてしまう危険性があるため、全身麻酔で行う場合もある。息子も全身麻酔だった。

 身体の侵襲は大きくは無いが、全身麻酔となると、麻酔後の不穏な状態が3時間くらい続き、それを静止させるのが大変だった。息子は全く覚えていないが、私は泣きながら息子が暴れ出さないように身体を抑えていた。 

息子 「助けて〜 やめて〜 こんなことしないで〜 どうして僕にこんなことするの〜 嫌だよ〜 助けて〜 」
  「ゴメンね〜 ゴメンね〜 必ず良くなるからね」

私は3時間言い続けた。麻酔下にいる息子が本意で言っている言葉では無いことは分かっていたが、私は言わずにはいられなかった。

㊗️退院 そして自宅療養へ

名古屋市総合リハビリセンター附属病院 パンフレットhttp://www.nagoya-rehab.or.jp/hospital/index.html

自宅療養の1ヶ月間は、毎日車で15分かけて祖父母に通ってもらった。
そして、白い犬を飼った。まだ運動の許可が出ていない、学校に行けない息子の唯一の友達となった。 

白い犬を飼う

脳出血後の高次脳機能障害の検査結果はこちらのブログhttps://atunaringo.com/son/

IQ77とは、支援学級と普通級のグレーゾーンだ。息子は性格が優しく、ひょうきんな性格であったために友達が多かった。だから、授業について行くのは大変かもしれないが、今まで通りの普通学級に戻ることに決めた。

内臓系の病気は、外見が変わらないため、周囲の理解を得にくい。だから、息子も「無事に復帰できて良かったね」と声をかけられることが多かったが、しかし、IQが一度に20も下がってしまった息子が学校に戻る事は、とても、とても大変だった。

人間の頭の良さは、もちろんIQだけではない。ただ、IQが低いという事は、同じ授業を受けても、理解の深さや記憶の定着度合いが明かに違うのだ その事に気がつかされたのは、学校に復帰して2ヶ月がたった頃である。私から学校へ、外見的には以前と変わらないが、知能が低下しているため理解や記憶が難しいこと、個別の支援として利用できるものがあれば、お願いしたいことを説明に何度か通った。

学校の先生達も頭では分かっていても、本筋を理解することは難しかったと思う。私はモンスターペアレントにならないように、客観的な病状説明として本を渡した。だが、この本を読んでくれる先生はほとんどいなかった。

試行錯誤の日々

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